CRIMSONとは、己の可能性に限界を定めず、感謝を胸に自らの思考と行動で勝利を作り出す(追求する)ことに取り組む団体である。この考えは部員全員が日々の活動の行動基準とするべきものである。
創部年 | 1967年 | ||
所属 | 関東学生アメリカンフットボール連盟 | ||
チームカラー | クリムゾンレッド | ||
部員数 | 44名(新2年~新4年の合計) | ||
監督 | 遠藤紀彦 | ||
幹部 | ![]() 主将:倉田樹 | ![]() 主務:古木愛実 | |
ユニットリーダー | ![]() オフェンス リーダー:木村龍太郎 | ![]() ディフェンス リーダー:山下真聞 | ![]() スペシャルチーム リーダー:山﨑陽平 |
![]() ストレングス リーダー:丘未来也 | ![]() リクルート リーダー:青山大智 | ||
ロゴ | ![]() | ||
スローガン | Be a Leader |
CRIMSONのHPをご覧いただいている皆様、いつも温かいご支援をいただき、誠にありがとうございます。
私は、2021年シーズンまで3年間監督を務めていただきました山本弘也さんに代わり、2022年シーズンより監督を務めさせていただきます遠藤紀彦(CRIMSON1993年卒)と申します。何卒よろしくお願い申し上げます。
2022年シーズンは、4年生を中心とした学生の頑張りと、応援して下さるOBOGの皆様、部員のご家族の皆様、ファンの皆様のおかげで、BIG8との入替戦に出場することができました。満員に近い観客の中、結果は一歩及ばすで、目標としていたBIG8昇格を果たせず、非常に悔しい思いをしました。しかし、1年間の個人、チームの成長は目を見張るものがありました。2023年シーズンは更に高みを目指していきます。
さて、2023年 CRIMSONは、行動基準を「CRIMSONとは己の可能性に限界を定めず、感謝を胸に自らの思考と行動で勝利を創り出すことに取り組む団体である」と定め、4年生だけでなく3年生もあわせて執行代と定義し、活動を始めております。私含めコーチ陣は、学生が掲げた目標の達成を支援する形でチームに関わっていきます。
◆「どのように、立ち向かう」
行動基準にある「自らの思考と行動で勝利を創りだすことに取り組む」ためには、一人ひとりの個を限界を超え、異次元レベルに強くすることが重要テーマとなります。強い個人が集まると強いチームが生まれます。強い個人は、強い心・強い体・鍛え抜かれた基礎からなっていると私は考えています。複数のポジションをプレーできるプレーヤー、1試合を通して高いパフォーマンスを発揮し続けられるプレーヤー、それを支えるスタッフ、一人ひとりのこれからの成長がチームの力です。想いを一つにして、「自分だけ」ではなく、「チームメンバー」の成長もサポートしあい、共に育ちあう組織を創っていきたいと考えています。その為には、自分を本気で信じ、仲間を本気で信じることが必要です。結果は分かりません。ただ、結果を創りだすためにやることを決め、力を尽くすことはできます。
◆勝利に向けて本気で取り組む先には
4年間というのは、長いようであっという間です。プレーヤー・スタッフとして只中にいると、苦しいことや挫折を感じることが、達成感や成長実感よりも多いかもしれません。ただ、冒頭書かせてもらったように、CRIMSONの活動は、アメリカンフットボールという競技の中で「自らの思考と行動で勝利を創りだすことに取り組む」ことです。理想を自ら描き、現実とのGAPから逃げずに、達成のための行動計画を立て、自らや仲間を鼓舞しながら一緒に実行し続けることにあります。このプロセスは卒業後、世界を社会を牽引していくリーダーとして土台となる一歩に他なりません。貴重な4年間をCRIMSONにかける本質的な価値はそこにあると、私は考えています。
OBOGの皆さん、大学生の皆さん、部員のご家族の皆さん、地域の皆さん、ファンの皆さんが応援したくなる、チームを創り、スタンドを満員にしたいという想いが、私にはあります。今年度も応援を何卒よろしくお願い申し上げます。
監督 兼 ヘッドコーチ 遠藤紀彦
1966年 馬場寛、三谷清、加藤彰恒、田辺清、深尾一郎ら同年入学の未経験者新入生を中核に有志が集まり同好会として発足した。(創立期の記録.pdf)
1967年 体育会として大学から認定され、正式に一橋大学アメリカンフットボール部創部。国立東校舎グラウンドにて練習を開始する。関東の国立大学では防衛大学、東京大学に続いて3チーム目として誕生。
1968年 関東学生アメリカンフットボール連盟に加入し、2部リーグに所属。
1970~1980年 首都大学リーグ(並列5ブロック制)に所属。1970年と1972年には同リーグにて優勝するも、関東選手権では両年ともに1回戦で敗退。なお1971年夏より活動拠点を国立から現在の小平グラウンドに移動した。
1980年 チーム名称をCRIMSONに決定。
1981~86年 リーグ編成が変わり関東2部リーグに所属。そのころには珍しかった高校での経験者の入部とリーダーシップ、監督やOBのアメフトの知見が結集することで、部員数増加とともにブロック上位の常連校となり1部昇格が射程圏内に入る戦力が構築された、CRIMSONの黎明期といえる。
1987年 1部との入替戦で東大を破り、初めての1部昇格を果たす。(リンク)
1988年 入替戦敗退により1部の舞台を1年で去るが、4年生のDT今井二朗、CB石垣聖二が翌年の1月初旬に開催された“EPSON IVY BOWL”の日大篠竹監督率いる『JAPAN選抜(=実態は関東学生選抜)』 に選出された。DT今井は試合にも出場、好プレーを見せた。
1989年以降、長らく2部リーグに所属。
1998年、2000年、2002年に1部との入替戦に出場するも3度とも1部という壁に跳ね返され、2部所属となる。
2003年 CRIMSONにとって転機の年。
1位で2部リーグを制し、1部との入替戦に臨んだ。相手は前年度入替戦で敗れた筑波大学。当時1年の井口喜弘が逆転フィールドゴールを決める劇的な幕引きとなった。(リンク)
ここからCRIMSON新時代が幕を開けた。1部リーグ所属となる。
2004年 17年ぶりに臨んだ1部リーグ。強豪校相手に勝利はできなかったものの、入替戦で神奈川大学を退け、CRIMSON初の1部リーグ残留。
2005年 日本体育大学戦で1部リーグ初勝利(21-7)。関東学院戦も勝利し、入替戦回避。アメフト専門誌「Touch Down」が選出する学生ベストイレブン「ALL JAPAN」にOL工藤弘幸が選出される。
2006年 前年度1部Aブロックを優勝した明治大学に完封勝ち、4勝3敗という過去最高の成績を収めた。
2007年 開幕から4連勝し前年度学生王者の法政大学と全面対決にもちこんだ。最終スコアは14-26であと一歩及ばず敗北した。前年度に引き続き4勝3敗。「ALL JAPAN」にDL千田一臣、RB渡辺裕介が選出される。
2013年 10年間守り続けていた1部リーグから2部リーグに降格した。
2014年 劇的な1部昇格。初戦敗北、2戦目引き分けと最悪なスタートをきったが、その後、流れを掴み5試合連続勝利し、リーグ2位で上智大学との1部入替戦に臨み勝利し、1部昇格を果たした。(リンク)
2015年 東京学芸大学との1部入替戦に敗れ2部リーグに降格。
2016年 リーグ2位で専修大学との1部入替戦に臨み、勝利し1部昇格。(リンク)
2017年 リーグ7位で2部リーグとの入替戦に出場することになった。対戦相手は昨年度入替戦で勝利した専修大学、結果は敗北となり2部リーグ降格。
2018~2019年 2部リーグで奮闘するも、リーグ下位で終わる。
2020年~2021年 新型コロナウイルスの影響で試合数が減った中で奮闘するも、昇格の機会を逃す。
2021年春 OBOG会、父母会、ファンクラブ等からの寄付により、念願の小平グラウンド人工芝化を実現。
2022年 リーグ1位で青山学院大学との入替戦に臨むも、惜しくも敗北。